自然体験、科学館、プログラミング教室。いろんな体験をさせているのに、子どもの目が輝かない。そう感じたことはありませんか。
体験が終わったら終わりで、次の週には忘れている。お金と時間をかけているのに、何も積み重なっていない気がする。私も同じことを感じていました。
気づいたのは、体験の質の問題ではないということです。体験の後に何を渡すかの問題でした。なぜ受験ではなく体験を選んだのかについては、小学校受験は本当に意味があるか?に書いています。
体験が終わると忘れる。何が足りないのか
体験の後に「何か調べてみよう」と言っても、子どもは動きません。範囲が広すぎてどこから手をつければいいかわからないからです。
動く問いには条件があります。その体験の中で実際に感じたことと直結していることです。温度管理に苦労した体験があるから「ウニはどんな温度の海が好きなんだろう」という問いが刺さる。
幼生が全滅した体験があるから「なぜ育たなかったんだろう」という問いが生まれる。体験から直接生まれた問いだから、子どもが自分ごととして動けます。
逆に言えば、体験と切り離された問いは親の押しつけになります。子どもの目が輝かないのは、体験が足りないのではなく、体験と繋がった問いが渡されていないからかもしれません。
小学1年生が顕微鏡を覗いた日
娘が小学1年のとき、お茶の水女子大学湾岸生物教育研究所が主導するウニの発生実験プログラムに参加しました。全国の参加者に同じ親ウニから採取した未受精卵と精子が配布され、それぞれの家庭で受精実験に取り組む設計です。本格的な研究に近い内容ですが、無料で参加できました。(現在このプログラムは休止中です。)
実験は基本的に家で行い、さまざまな実験器具を使いました。顕微鏡、プレパラート、ビーカー、撹拌子。おもちゃの実験キットではありません。

本物の器具にこだわる理由はmicro:bitを選んだときと同じで、子どもが本物の失敗をできる環境を作ることが先だと思っているからです。その話は娘にドリルではなくmicro:bitを渡した理由に詳しく書いています。
卵子や精子が温度の変化にとても敏感だということ、幼生の飼育がいかに難しいかということ、全部失敗しながら体で覚えていきました。これらは図鑑には載っていない感覚的な学習です。
幼生を育て続けるには餌と飼育設備が必要です。家での飼育には限界がありましたし、理解できなかった要因により幼生は全滅しました。娘はそのとき既に次のことに興味が移っていました。
半分以上関与した。それでも渡さなかったもの
ウニの受精を見た後、「ウニってどこに住んでいるんだろう、海のどんな場所が好きなんだろう」という話を娘と一緒にしました。答えは知らかなったので一緒に発生体験をしたウニについて調べました。
レポートは半分以上私が一緒に作りましたが「こう書きなさい」という結論は渡さず、何を伝えたいかは娘に決めさせました。
正直に言えば、このプログラムを通してもっと深く探究してほしかったという気持ちはありました。ウニの生態から海の環境問題まで、もっと広げていける材料が豊富にあったからです。
でも実際は子どもの興味はそこで止まり、次に移っていきました。親の期待通りには動かない。それが子どもを育てることの難しさだと今も思っています。
難易度の調整が一番難しい
一つだけ注意があります。問いの難易度を間違えると逆効果です。
難しすぎれば子どもはやる気を失います。小学校低学年は自分で調べること自体がまだ難しい。だから最初は一緒に調べることが前提です。
子どもが「難しいけど面白そう」と感じる手前で止める。その加減が一番難しく、今も正解はわかっていません。
体験の内容は何でもよく、大事なのはその後です。体験の中で子どもが何かに反応した瞬間を見逃さないこと。そこから問いを一つ作り、範囲を絞った体験と直結した問いを一つだけ渡す。答えは教えず、一緒に調べる。うまくいかなくてもいいのです。
ウニの幼生は全滅した
最終的にウニは全滅し、娘は次の興味に移っていました。でもその短い集中の中で、本物の器具を使い、失敗して、自分で問いを立てて、自分でまとめることをやっていました。
そしてその経験が彼女の中で何かを残しました。難しいけど面白そうだという科学への興味です。それが今も消えていません。
それで十分だと思っています。



