ある休日の朝、私は9歳の長女に対して、親として最も未熟な言葉をぶつけた。
「もう、全部辞めれば」
教育的な指導ではなく、ただの感情的な爆発だった。 しかし、それは突発的な怒りというより、長年信じてきた私の教育方針と、現実とのギャップに疲れ果ててしまった瞬間でもあった。
余白を与えたつもりだった
私のブログを読んでくれている方は知っていると思うが、私は普段から娘たちに「勉強しろ」とか「テストの点数を上げろ」とは言わない。 妻がたまにそう言うことはあっても、私は一貫して反対の立場だ。
私が娘に求めているのは、たった一つ。 「興味のあるものを見つけたら、パパを巻き込んで夢中になれ」ということだけだ。
何かに没頭するためには、余白が必要だ。 だから私は、彼女が家でボーッとしていたり、意味もなくゴロゴロしている時間を否定しない。
一見無駄に見える時間からこそ、創造性や好奇心が生まれると信じているからだ。
しかし、彼女は最近その貴重な余白を、創造ではなくコンテンツの消費で埋め尽くしていた。 YouTubeのバラエティ動画、終わりのないゲーム。
そこには探究のかけらもなく、ただ流れてくる情報を口を開けて飲み込んでいるだけの時間が続いていた。
親の不安と、思考停止の罠
一方で、彼女のスケジュールは習い事で埋め尽くされている。 ピアノ、バドミントン、塾、体操教室……。
毎日のように送迎のハンドルを握り、隙間時間で深夜のミーティングをこなし、散らかった部屋を片付け、彼女のケアをする。私のリソースは限界だった。
彼女のキャパシティがオーバーなのも明らかだ。だから私は何度も提案した。 「課題が多すぎて余裕がないなら、習い事を減らそう。削っていいんだぞ」と。
しかし、彼女は「辞めたくない」と言う。 なぜなら、彼女にとって辞めるという選択肢は、事実上封じられていたからだ。
以前、彼女が何かを辞めたいと言い出した時、私たちはよかれと思って「本当にそれでいいの?」「後悔しない?」「ここで辞めたら癖になるよ」と、しつこく問い詰めてしまった経験がある。
「多様な経験をさせてあげたい」「将来の選択肢を広げてあげたい」という親の愛情と不安が、いつしか彼女への圧力になり「一度始めたら辞められない」という呪いになっていたのだろう。
だから彼女は、好きでもない習い事を「辞めたくない(=親を失望させたくない、説得するのが怖い)」と言い張り、その結果全てが中途半端になる。
バドミントンがうまくできなくても「疲れた」と言うだけで、なぜできないのか考えもしない。ピアノもただ指を動かしているだけ。向上心(Hunger)が見えないのだ。
「辞めたくない」は「好きだから」ではない。今の環境を変えるのが怖いという、ただの現状維持バイアスだ。
これこそが、私が常々ブログで警鐘を鳴らしていた思考停止の状態そのものだった。
与えられる課題や習い事が多すぎて、自分の頭で考える余裕がなくなり、ただ目の前のタスクを処理し、疲れたら動画という「消費」に逃げ込む。
私が最も避けたかった受動的な人間に、皮肉にも我が子自身がなりかけていた。
決壊
ここ数日、私はそんな彼女に対して明らかに冷たかったと思う。 ダラダラする彼女を見るたびに、ため息をつき、突き放すような言葉を投げていた。
そしてその朝、私の中で何かがプツンと切れた。
「パパは、お前の暇つぶしと惰性のために働いているわけじゃない」
冷静さを保とうとしたが、口から出たのは拒絶だった。
「自分から『やりたい』という意志がないなら、もう何もしない。」
そう言い捨てて、私は自動的なサポートを一切やめた。
習い事の時間になっても、私からは声をかけない。 彼女自身が「連れて行って」と意思表示してこない限り、私は動かない。
そして「連れて行って」と言うなら「今日はここを頑張る」という具体的な目標提示がなければ一緒にはいかない。
自分で決め、自分から協力を仰ぐ。 その姿勢(コミットメント)を明確に示さない限り、私はもう一切の手出しをしないというルールを突きつけたのだ。
これは意地悪ではない。 彼女が今「自分の意思でハンドルを握る」感覚を身につけなければ、この先もずっと周囲のノイズに流され、惰性で生きていくことになる。
そんな危機感があったからこそ、私は心を鬼にして彼女への自動運転サービスを停止した。
理解を放棄した時間
リビングには、奇妙な空気が流れていた。 あれだけ突き放したというのに、長女はふてくされるわけでもないく、何も言わずに、いつも通りマイペースに次女と遊んでいる。
普段なら「話を聞いているのか」とさらに追撃していただろう。 しかし、今の私には彼女の心の内を推し量るエネルギーすら残っていなかった。
反省しているのか、響いていないのか。それを理解しようとする努力すら手放し、私はただ無言で、機械的に夕飯を作り続けた。
おそらく、普段なら時間が経てばパパの機嫌は直ると思っていただろう。 しかし今回ばかりは、ただ時が過ぎるのを待つだけでは解決しないと悟ったのだと思う。
「自分から提案し、意思を示さなければ、パパは本当に動かない」 そう理解した彼女は、マイペースに遊んでいるように見せかけて、必死に次の手を考えていたのだろう。
数時間後、私のデスクに一枚の手紙が置かれた。
予想外の回答
私は重い気持ちでその紙を拾い上げた。 この状況で手紙を書いてくるとは思わなかったが、どうせ言い訳か、あるいは全く別の話題だろう。 特に期待もせずに紙を開いた。
しかし、そこに書かれていた最初の一文を見て、私は胸を突かれた。
(以下、娘の手紙より原文ママ)
いつもパパといっしょにいるじかんをむだにしてごめんなさい。 わたしは、まえパパががくじゅつかんでかった化学物質のしたじきを、化学物質っていろんのがあって、おもしろいなとおもっていました。 (中略) だから、こんど化学物質についてせつめいがあるはくぶつかんにつれてってください!!
彼女は普段、悲しいコメントをしたり、弱音を吐いたりするタイプではない。 何を言っても「ふーん」とマイペースを崩さない性格だ。
しかし、この「一緒にいる時間を無駄にしてごめんなさい」という言葉。 ここ数日の私の冷たい態度が彼女の厚い皮を突き破り、その奥にある孤独に届いてしまっていたのだと気づいた。
彼女はずっと平気な顔をして遊んでいたわけではなかった。 パパに見捨てられるかもしれないという恐怖と、寂しさを抱えながら、私を再び振り向かせるための回答を探していたのだと思う。
反省文でも言い訳でもなく、私はこれなら本気になれるという彼女なりの訴え。
今の習い事の延長線上には父親を納得させる材料がないことを悟り、過去の記憶を引っ張り出して「化学」という全く別のカードを切ってきた。
私はこの手紙を見て、力が抜けてしまった。
役に立った私のガラクタ
なぜ突然「化学」なのか。 その理由は、私の散らかったデスクにあった。(この画像は実際の机)

私は「大人の学び」と称して、自分のデスクに分子模型やmicro:bit、理系の専門書などを無造作に置いている。 これらは完成されたおもちゃではなく、エンジニアとして手を動かして考えるためのものだ。
今の彼女の周りは、あまりにもノイズが多い。 家には次女がいて、妻の指示が飛び交う。学校の宿題に、習い事の課題。
その喧騒の中でフリーズしてしまった彼女を、テストも評価もない場所へ解放してやりたい。そう思いながら作ったのが、このラボだった。遊びながら考えるという姿勢を見せるために。
娘はこれまでも、新しいガジェットが増えるたびに「これなに?」と寄っては来ていた。
しかし、私が嬉々として難しい説明を始めると、「ふーん」と言ってどこかへ行ってしまうのが常だった。 あくまで「パパの趣味」への軽い挨拶程度だった。
しかし、追い詰められたこの夜は違った。 彼女の目に、それらが単なるオモチャではなく解決の糸口として映ったのかもしれない。
手紙への返事代わりに、私はデスクの分子模型キットで「セロトニン」を作って置いておいた。 以前、彼女が形が可愛いと言って買った革の栞と同じ形だ。
それを見た彼女は、「これはなに?」とすぐに食いついた。私が少し解説すると前に買った栞を持ってきた。
「あ、これ栞の構造式の形なの?。黒が炭素で、赤が……。ちょっと待ってノートにメモするから。」
さらに元素記号表を持ち出し、水素と酸素、窒素を探す。 そして、ふと別の場所を指差して言った。
「あ、ラジウムだ。これキュリー夫人の伝記に出てきたやつだ」
彼女は記号を以前読んだ伝記の物語とリンクさせていた。 私が少し感心して「病院にある放射線のマークもそうだよね」と補足しようとすると、彼女は即答した。
「それは知らない」
彼女は私の顔色など見ていない。パパに教えてほしいわけでもない。 ただ自分の知識と興味の世界に入り込み、必要な情報だけを繋ぎ合わせている。
それは 純粋な興味か、あるいは私を納得させるための生存戦略か。どちらにせよ、彼女は自分の頭で考え、手を動かしていた。
私が環境を用意しているなんて大それた話ではない。私が勝手に置いていたオモチャを、彼女が勝手に見つけて、勝手に遊び始めただけ。それでも、その偶然に救われたのは間違いなく私の方だった。
週末の付き添い
これが彼女の作戦なのかもしれないし、来週には忘れているかもしれない。 それでも構わないと思う。
分子模型を触る彼女に、久しぶりに主体性を見たからだ。 「やる気がないなら辞めろ」なんて偉そうに言ったが、彼女のやる気を奪っていたのは先回りして世話しすぎていた私自身だったのかもしれない。
彼女が提示してきたこのリクエストを断る理由はない。
本当は、彼女も一緒に穏やかに過ごす時間がほしかったのだろう。 先日、二人で上野へ出かけた時のように、課題もテストもない、気楽な時間を。

