私は就職するまで英語を学校以外で使ったことはありませんでした。TOEICは640点、流暢な会話どころか日常会話すらできませんでした。
しかし、私はこの15年間、世界トップクラスの外資系医療機器メーカーで開発・製造の現場に立ち続け、現在はプロダクトマネージャーのポジションでグローバルビジネスに関わっています。
事業買収から始まった私の外資系キャリアは、まさに激流でした。 日米の文化衝突、容赦ない組織の再編、そして去っていく多くの同僚たち。
なぜ、英語ができない私が生き残り、評価されるようになったのか。それは私が英語力ではなく「生存戦略(OS)」を書き換えることに注力したからです。
これは机上の空論ではありません。典型的な人見知りの日本人エンジニアが、キャリアの危機を乗り越えるために何を考え、どう振る舞ったか。その泥臭い記録です。
2014年、背筋が凍った英語プレゼンの指示
今でも鮮明に覚えています。2014年のある日、私の所属していた部署に、奇妙な指示が下りてきました。
「各自、自分の仕事内容を英語で説明できるように準備せよ。スライドを作成し、近日中に予行演習も行う」
表向きは、グローバル開発体制の再編に伴う業務確認でした。しかし、社内の空気は明らかにいつもと違い、私は数日間大きな緊張を感じていました。
プレゼン当日、会議室に入って私は確信しました。 そこに座っていたのは、米国本社の責任者だけではありません。日本法人の社長、人事部長、そして自部門以外の各部門長までもが、こちらを見据えていたからです。
これは単なる業務報告ではない。 「この組織を、これからのグローバル体制に残す価値があるか」を決める、事実上の「査定(オーディション)」だ。
私は準備した拙い英語で、自分の価値をプレゼンしました。 結果、数日後に下された通知は残酷なものでした。
「部門の解散」。 つまり、数カ月後にその職場はもう存在しないということです。
会社が冷たいのではなく、最適化されただけ
その後、多くの同僚が会社を去っていきました。 彼らは決して能力が低いだったわけではありません。むしろ技術者としては私よりも優秀な人たちでした。
当時、現場には「外資は冷たい」などの声が溢れていました。 しかし、今になって冷静に振り返るとそれは違います。
グローバル全体で見た時、機能の重複をなくし、リソースを最適配分するための合理的な判断(最適化)を行ったに過ぎません。ビジネスを成長させるうえで、常に経営層が考えていることのひとつでしょう。
つまり、ビジネスのルールが変わったのです。 今まで通り、良いものを作っていれば守られるという伝統的日本企業のルールから、全体最適の中でどう貢献できるかというグローバルのルールへ。
この変化への適応を悲観し、前のやり方に固執してしまった人ほど、組織との溝が深まり、去らざるを得なくなってしまったのだと思います。
典型的な「内向的日本人」の私がとった生存戦略
では、なぜ私は残ることができたのか。 英語がペラペラだったから? いいえ、当時の私の英語力など皆無に等しいレベルでした。
私は典型的な日本人マインドを持ったエンジニアです。人前で話すのは大の苦手。知らない外国人に話しかけるなんて、考えるだけで冷や汗が出るほど怖い。しかし同時に、私はもっと積極的な人間になってみたいとも思っていました。
あの査定の日、そしてその後の日々において、私は自分を封印しました。そうしなければ、自分の仕事やキャリアを守れないと悟ったからです。そしてこの機会は私自信が変わるチャンスだとも思いました。
私がとった戦略は、大きく分けて2つあります。
1. 「英語力」ではなく「信頼」を武器にする
あのプレゼンの予行練習の際、私はある人物に助言をもらいました。当時の日本法人の社長や他の部門長です。 英語もろくにできない私にプレゼンの内容や立ちふるまい方をアドバイスをしてくれました。
なぜ初対面の一社員にそこまでしてくれたのか。 それは私が、関連技術や製品情報をよく知っていたからという理由に加えて、変化に対して恐怖ではなく「私が考える事業のアイデアや将来の考え説明し、どう貢献できるか」を前向きに模索していたからだと思います。
本番のプレゼンで、私は本社から来たリーダーたちの前で拙い英語ながら、身振り手振りをつかってなるべく堂々と説明をしました。
そこにいた参加者が見たのは、私の英語力ではなく、そのポテンシャルと同席していた日本のリーダーたちからのサポートだったのだと思います。
2. 「内向的な自分」を演じ切る
性格を変えることはできません。でも、役割を演じることならできます。私は「外資系PM」という役を演じることに決めました。
毎回英語で話すときは、発声練習や顔の体操は欠かさない。心臓が口から出るほど緊張していても、あえてお腹から大きな声で発言する。
文法が合っているか不安でも、会議では黙らず、一度は必ず相手の目を見て発言をする。 食事の席では、怖くても外国人の同僚や上司の隣に座りに行く。
内向的だから無理と逃げるのは簡単です。 しかし、内向的で繊細な人ほど、実は相手の意図を汲み取る調整役には向いています。必要なのは、スイッチを入れる少しの勇気だけです。
「冷たい」と思っていた外資が、実は一番「人間らしかった」話
ここまで「外資はシビアだ」「査定がある」と厳しい側面ばかり話してきましたが、最後に一つ、私がこの環境に居続ける「本当の理由」を話しておきたいと思います。
外資系企業はよく「ドライだ」「守ってくれない」と言われます。 確かに雇用という意味ではドライかもしれません。しかし、「社員の人生」を守るという意味では、驚くほど人間味に溢れています。
それが如実に表れた一つの例が、あの2020年から始まったCovid-19の流行でした。
未知のウイルスが流行し始めた時、会社は早い段階で「完全リモートワーク」を導入しました。 そして、トップから下された指示は、明確に「Family First(家族を最優先)」でした。
「子供が泣いて会議に出られなくてもいい」 「家事のために時間をブロックしてもいい」
これがスローガンではなく、本気で実行されました。なぜか? それは、グローバルのリーダーシップチームに、家事や育児の修羅場を経験してきたリーダーたちが沢山いるからだと思います。
彼らは知っていたのです。 ステイホーム中に、小さな子供を抱えながら仕事をすることがどれほど過酷か。学校が休校になった家庭がどうなるか。
想像ではなく「実体験」として痛みを知っているからこそ、精神論ではない、具体的で合理的なサポートを即座に決断できたのです。
男性中心で、全員が会社に来ることを当然としてきたかつての環境では、このスピード感と真の共感はあり得なかったでしょう。
厳しい成果主義の裏にある、この合理的優しさ(Rational Empathy)。 これがあるからこそ、私はここでサバイバルを続けようと思えるのです。
まとめ:変化の波を乗りこなすために
私の所属部門はなくなりましたが、私自身は社内異動という形でキャリアを繋ぐことができました。 それは運が良かっただけかもしれません。若さゆえのポテンシャル採用だった側面もあるでしょう。
しかし、もし私があの時「英語ができないから」と殻に閉じこもっていたら? 「会社の方針がおかしい」と愚痴だけを言っていたら? 間違いなく、今の私はここにいません。
グローバル再編やM&Aは、サラリーマンにとって災害に見えるかもしれません。
しかし、それを「ビジネスの進化」と捉え直し、自分のOS(行動様式)を書き換えられる人にとっては、新しいチャンスになります。
英語はただの道具です。私たちを守るのは、変化を恐れずに一歩踏み出す適応力と、目の前の仕事で積み上げた周囲からの信頼です。私がTOEIC対策が私たちにふさわしくないと考える理由はここにあります。
人一倍人見知りの私にできたのです。皆さんにできないはずがありません。
英語が苦手なPMが、テクノロジー(AI)と思考、そして泥臭い現場の工夫を駆使して構築した、「外資系企業で生き残るための実務サバイバルガイド」をぜひ参考にしてください。



